Visitor No. since 7/June/2004
私のホームページにアクセスしていただいて本当にありがとうございます。
お気づきの方もおられるかと思いますが、tobiumeとは福岡の大宰府天満宮にある「飛梅」の名前を付したものです。
私の名前とパラグライダーでの飛翔の意味を掛け合わせ、さらに私の住む福岡にちなんだこの名前を付けました。
ご存知ない方のために簡単に飛梅伝説について紹介しましょう。
菅原道真は承和12年(845年)学問の家として知られる京の菅原家に生まれました。道真は幼少より勉学に励み、
23歳で文章得業生に、33歳で文章博士となっています。さらに寛平5年(893年)には参議、同8年中納言となり、
昌泰2年(899年)には左大臣藤原時平と並んで、道真が右大臣となりました。
しかし、あまりにも順調な出世に対して、名門とはいえ藤原氏には比ぶべくもない菅原家の道真の昇進は、時平に
とって疎まれるものとなったのでした。時平は道真追放の陰謀を画策、道真の娘が斉世親王の妃となっていたことから、
道真が斉世親王を皇位に就ける陰謀を企んでいると、醍醐天皇に密告したため、道真は昌泰4年、右大臣近衛大将の
地位を解かれ、現在の福岡県太宰府に左遷されました。
長年住み慣れた都を去る日、日ごろ梅を愛する道真は、自宅庭の梅の花に別れの涙とともに
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
(訳:梅の花よ、東風が吹いたなら、私の配所の筑紫まで、そのいい香りを風に乗せて届けておくれ。主人である私が、
京の都にいないからといって、春に花を咲かせるのを忘れてはいけないよ。)
との歌を残しました。
配所となった宿舎は荒れ果て、淋しく苦しい生活が続きましたが、道真は無実を叫びつつも、ひたすら国の安泰を祈り
つづけたと云われています。
1年後のある朝、道真を慰めるかのような不思議な出来事が起こりました。配所の庭先に、一夜にして見事な梅樹が咲き、
その香気を一面に漂わせたのです。
「これは都に残してきた梅の木ではないか。昨年都を去るときに詠んだ歌を忘れず、ここまで飛んできたのであろう。」
道真は感涙に咽びました。
これがいまも太宰府天満宮本殿横にある“飛梅”の伝説です。
太宰府天満宮提供「飛梅伝説」へのリンク
パソコン環境
パラグライダー環境